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浅間山の麓  御代田町に栄えた縄文人の暮らしを学ぶ「浅間縄文ミュージアム」

浅間南麓から南北に広がる御代田町は、一年を通して降水量が少なく晴天率の高い過ごしやすい町です。さらに北陸新幹線や上信越自動車道など交通網が整い、北陸・首都圏・中京圏へのアクセスも優れており、その暮らしやすさから、近年は移住者が増加している地域です。

そんな御代田町、実は縄文時代も住みやすい土地だったようで、過去に、縄文土器が多数出土し、川原田遺跡と宮平遺跡など多くの遺跡が発見されているところでもあります。今回は浅間南麓御代田町で栄えた縄文文化を学ぶことができる浅間縄文ミュージアムを紹介します。

縄文文化の頂点ともいわれる装飾土器 焼町土器

御代田駅から徒歩10分、「浅間山麓サイクリングコース」になっている1000メートル林道から御代田町役場方面へ南下したところに、複合文化施設「まなびの館エコールみよた」があります。建物の中に御代田町教育委員会や図書館、公民館と浅間縄文ミュージアムが併設されており、浅間縄文ミュージアムでは、今から16000年〜2500年前まで、約1万年以上も続いた狩猟採集社会であった「縄文時代」をテーマにした展示が行われています。

発掘調査の様子

今から約30年前、御代田町の真楽寺東にある川原田遺跡の発掘調査が行われ、縄文時代中期を中心とした縄文時代の村が見つかりました。その際に出土した焼町土器や土偶・土製円盤・石やじり・石匙・石錐・打製石斧・磨製石斧・石皿など146点が国の重要文化財に指定され、ミュージアム1階に展示されています。その中でも施設の一番奥にある特別展示室に展示されている焼町土器は、県内外から縄文時代に魅了されたファンを始め、考古学や歴史学の専門家が訪れるというほどの人気ぶりです。

矢じり

出土した品々

焼町土器の魅力は土器の文様にあります。縄文土器といえば縄目(なわめ)模様が施されているものと思われがちですが、焼町土器は、ドーナツ状の突起などの立体的な装飾が口縁部についていたり、川の流れのようなダイナミックな文様が施されていたりして、エネルギーに満ちた土器といわれています。地域によって文様の付け方が異なるそうですが、どの土器を見てもクリエイティブで縄文人の芸術的センスの高さがうかがえます。この特徴的な模様やデザインが、日本の縄文文化を代表する縄文土器として認められたため、国の重要文化財に指定されています。「一つ一つの土器が、ガラスケースに入れられ、ぐるりと360°見ることができる展示になっています。展示している土器は全て実物なので、土器の細部まで皆さんにみて見て楽しんでもらいたいですね」と学芸員の芹沢さん。土器の文様や装飾一つ一つの表現をじっくり観察することができ、縄文人がこめた想いや願い、さらには縄文人の息遣いをすぐそこに感じられるほど間近で見ることができます。

焼町土器

必見!「あくびちゃん」宮平遺跡から出土した顔面装飾釣り手土器

宮平遺跡から出土した顔面装飾釣り手土器

特別展示室には、御代田町豊昇地区の宮平遺跡から出土し、長野県宝に指定されている顔面装飾釣り手土器も展示されています。高さ26.6㎝、幅24.8㎝ほどの鉢形の土器で、外側にススが付着している形跡があったことから、煮炊きに用いられたものではないかと言われています。細い眼、高い鼻、ほほのように見える渦状の模様、大きく開けた口の表情がかわいらしく、あくびをしているような姿にみえることから「あくびちゃん」の愛称で親しまれています。あくびちゃんの複製がふるさと納税の返礼品になっていたり、御代田町公式のLINEスタンプも販売されていたりするなど、あくびちゃんが御代田町から縄文文化を発信する一助となっています。

模型のゆきえ

その他、竪穴式住居の発掘現場を再現したジオラマや石器・骨角器、縄文人の食糧や装飾品なども展示されており、当時の衣食住についても学べます。1階中央に展示されている女性の模型は「ゆきえ」と名付けられており、数々の遺跡から発見された縄文人の骨のデータをもとに復元されています。ちぢれ毛の髪、瞳が茶色で、目鼻立ちがはっきりしている立体的な顔、大きい耳たぶなど、縄文人の特徴的な顔つきが再現されており、縄文土器に入った食事を差し出す姿がかわいらしく、見学に訪れる子どもたちからも人気なのだそう。腕輪や土製耳の飾り、ヒスイのペンダントも身に着けており、縄文の時代から女性はおしゃれにも気を配っていた様子がうかがえます。

2階資料

2階では浅間山の成り立ちや火山活動史、浅間山の動植物について学ぶことができます。噴火により噴出した軽石や焼け石、江戸時代の天明大噴火を記録した絵図も展示されています。体験工房では様々な縄文体験ができ、勾玉作り、土器作り、アンギンおり、火おこしなど体験できます。※現在はコロナ感染予防対策で中止になっています。詳しくは浅間縄文ミュージアムにお問い合わせください。

学芸員の芹沢さん

縄文時代は1万年以上も続いた平和な時代だったと言われています。発掘された縄文土器を見ていくと、地域特有の文様が文化として移動して伝わっていった様子がわかるそうです。つまり他の文化を排除するのではなく、それぞれ自分たちの個性を大切にしつつ、良いものは取り入れていたと考えられます。「互いの文化を尊重し合っていたのではないか」と学芸員の芹沢さんの言葉が印象的でした。

太古の昔、御代田に住んでいた人たちのように、現在移住者が増えている御代田町で、地元の人と新しい風を運んでくる移住者が互いの文化を尊重し合い、さらに魅力的な文化がはぐくまれていくことを期待したいです。

浅間山の麓で栄えた縄文文化を学べる浅間縄文ミュージアム、御代田町に来たらぜひ立ち寄ってみてくださいね!

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