小諸駅から車で西へ10分。千曲川沿いを走る県道40号線から見える布引山の中腹に「布引観音釈尊寺」(天台宗布引山釈尊寺)があります。断崖絶壁にそびえ立つ観音堂が有名で、牛に引かれて善光寺参りのルーツとなった布引伝説の舞台でもあります。北国街道にも近く、小諸市観光案内所でEバイク(電動アシスト付き自転車)をレンタルして少し足を延ばしてみるのもおすすめです。
山上への参道は険しい山道で、かつては多くの修験者や信徒たちがこの参道を登って参拝したといわれています。江戸初期に定められ、善光寺信仰と深い関わりを持つと伝えられている「信濃三十三観音霊場」の第二十九番礼所であり、御朱印もいただける由緒あるお寺です。
参道はゆっくり登って20分ほど、足元は決して良いわけではなく、ある程度の体力が必要ですが、豊かな自然に囲まれた山道や途中にある多くの木仏や石仏、長野市にある善光寺に通じているといわれている「善光寺穴」、「牛に引かれて善光寺参り」のことわざにちなんだ「牛岩」などがあり、楽しみながら登ることができます。
さらに本堂や観音堂からの景色が素晴らしく、特に桜や紅葉のシーズンは絶景スポットとしても有名です。本堂からは、崖にそびえたつ観音堂とともに遠く浅間山まで眺めることができ、観音堂の眼下に崖が広がりスリル満点!まるで自然と一体になったかのような気分になります。参道を苦労して登ってきた後に味わえるこの爽快感は最高です。
布引観音釈尊寺の歴史
布引観音釈尊寺は、奈良時代の724年、仏教僧である行基(668年-749年)が創建した天台宗の山岳寺院で、本尊には聖徳太子が自ら彫ったとされる聖観世音菩薩を祀ったと伝えられています。
釈尊寺は二度の焼失と再建を経験しています。最初は戦国時代、武田信玄の東信地方侵攻の際に焼失し、後に信玄により釈尊寺を含む布引城郭群を改修、その後、望月城主(現・佐久市望月に城址があり)によって再建されました。二度目は江戸時代中期に野火のために再び焼失、江戸時代後期に小諸藩主牧野康明によって現在の姿に整備されました。
見ごたえがあるのは、切り立った崖に建つ観音堂内にある「観音堂宮殿(くうでん)」で観音堂自体は江戸時代後期に再建されたものですが、中の宮殿は1258年(正嘉2年)に創建、鎌倉時代の建築様式で造られ、国の重要文化財に指定されています。
中でも、寺院建築の屋根に取り付けられる飾り「懸魚(げぎょ)」は、この宮殿の「梅鉢懸魚」が日本で最も古く、価値のあるものだそうです。これは、建物を火災から守る火伏せのおまじないとしての役目も果たしているとのこと、この観音堂宮殿が釈尊寺の二度の火災からも免れた理由は、岩屋の中に祀られていたこともさることながら、もしかするとこの懸魚のおかげだったのかもしれませんね。
「牛に引かれて善光寺参り」のことわざの舞台
「強欲で信心のない老婆が川でさらしていた布を、突然現れた牛が角に引っ掛けて走っていった。その牛を追いかけていくと善光寺に至り、後に改心し信仰心を持つようになった」という話。これは「思ってもいなかったことや他人の誘いによって、良い方へ導かれる」という意味で、辞典などにも載っていることわざです。この牛は聖観世音菩薩の化身であり、釈尊寺が通称「布引観音」と呼ばれるようになった所以であるといわれています。
参道の途中には岩の壁に牛が浮かんでいるように見える「牛岩」があり、この伝説を物語っているようですね。なお、この伝説にはあまり知られていない後日談があり、釈尊寺の駐車場の案内板に書かれているので興味のある方は、読んでみてください。
小諸市の“拝む”「布引観音釈尊寺」いかがでしたか?近年では、小諸市を舞台にした人気のアニメ「あの夏で待ってる」にも登場し、若い世代がアニメ巡礼で訪れるとのこと。駐車場から山上まで、車で登ることができる裏道もあるそうですが、道幅が狭いのであまりおすすめできないとのこと。体力に自信のある方は、一度参道からのお参りに挑戦してみてくださいね。
また、近くには「氷風穴」や源泉100%のお湯が評判の「布引温泉こもろ」、いちご狩りが楽しめる「こもろ布引いちご園」、JAの直売所を併設している「あぐりの湯こもろ」などの施設があり、ぐるっと巡って観光をするのもおすすめです。小諸駅の観光案内所でEバイクや自転車を借りることもできるので、ぜひ訪ねてみてください。