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つまちゃりで巡る!天明3年浅間山大噴火で土石なだれに遭った鎌原村について学ぶ 嬬恋郷土資料館

浅間山北麓のすそ野に広がる群馬県吾妻郡嬬恋村。特産のキャベツ畑が一面に広がり、夏は高原リゾート地として、冬はスキーや温泉など観光地として有名です。しかし浅間山と共に生きてきたこの地域の歴史をたどると、噴火による大災害で、数多くの尊い命が失われた大変深い悲しみを感じる場所でもあります。

天明3年の浅間山大噴火に起因する「土石なだれ」によって埋もれた鎌原。5mもの土砂が一面を埋め尽くし、家は全て流され、人口の8割にあたる477名もの人が犠牲に。奇跡的に助かったのは高台にある「鎌原観音堂」に逃れた93人のみというなんとも悲しい大災害が起こりました。浅間山の噴火と災害の歴史や、ここでの悲劇、人々の暮らしや復興までの様子を学ぶことができる嬬恋郷土資料館について紹介します。

天明3年浅間山大噴火から200年後に行われた鎌原村の発掘調査

嬬恋郷土資料館_館内

天明3年の浅間山大噴火からおよそ200年となる1979年より大規模な発掘調査が行われました。災害の様子や当時の生活を知ることができる品々が出土したことを機に、噴火による被害の様子や浅間山の歴史、地質学的な物的証拠を保管して後世に語り継いでいこうと嬬恋郷土資料館が建てられました。観光客や嬬恋村の学生など、鎌原の歴史を学びに多くの人が訪れる施設となっています。

200年後の発掘によりわかった新事実「土石なだれ」

嬬恋郷土資料館ガイドの古川さんのお話によると、この発掘調査によって新事実がわかったのだそう。これまで鎌原村を埋め尽くしたのは、火口から噴出したばかりの高温の火山灰や、土砂などが水と混ざって流下した「熱泥流」と思われていましたが、発掘によって出土した品の中に、熱泥流によって燃え炭化したものがなかったということが解り、さらに出土した木造家屋を調べると、水分を吸った形跡がなかったことから、熱泥流ではなく、常温で乾いた『土石なだれ』が鎌原村を埋めたという新事実が判明したのです。天明の大噴火から200年後、村の災害の様子がわかる新しい発見があり、より詳しく火山災害の歴史を解明することができました。

 

嬬恋郷土資料館の1Fでは、天明3年浅間山大噴火の悲劇について学んだり、美しい浅間山の映像を見たりすることができます。さらに発掘によって出土した、天明の大噴火以前の生活の様子がうかがえる品々が展示されています。当時の生活用品だけでなく、生活水準の高さがうかがえるような櫛、かんざしのほか、江戸時代の大名などごく一部しか手に入れることができなかったガラス製の鏡といった貴重なものが出土しました。鎌原村は山間の農村でありながら、かつて関東と信越をつなぐ人馬が行き交う宿場町だったそうで、都市部との盛んな交易があったことがうかがえます。

出土した品

入口には浅間山の巨大なジオラマが展示されており、ジオラマの上からプロジェクションマッピングを用いて、噴火によって流れ出た吾妻火砕流、鬼押出し溶岩流、鎌原土石なだれがどのように流出したのかわかりやすく投影されています。窪地になっている鎌原村の地形やそこに流れ込む土石なだれの様子を見ることができ、改めて噴火の恐ろしさを学ぶことができます。

プロジェクションマッピング_1

プロジェクションマッピング_2

 

生き残った93人の絶望からの出発や、100年かかったという鎌原村の復興の様子がわかる資料も展示されています。壊滅的な状態の中で立ち上がった黒岩長左衛門を中心に、私財を投げうって村の復興に尽力したことや、「士農工商」の時代の中で、身分財産に関係なく家族を再構成したことなどが「浅間山噴火大和讃」として伝承されています。短冊状に土地を区切り、生き残った世帯ごとに平等に土地を分けたことなど当時の人々が村一丸となって復興を目指してしていた様子を知ることができます。

 

その他、1階には火山噴火による被災地という共通の歴史を持つイタリアのポンペイ遺跡から発掘された「噴火犠牲者の人型」レプリカも展示されており、2Fでは嬬恋村の特産品キャベツの歴史の展示、3Fはパノラマ展望室となっているので浅間山や白根山、鎌原村の街並みを一望できます。1階から3階まで資料館ガイドさん(要予約)に案内をしていただきながらまわると、鎌原村や嬬恋村の歴史についてより詳しく学ぶことができます。

人々の心のよりどころ鎌原観音堂

嬬恋郷土資料館の隣には、火山災害から村人の命を救った観音堂として厄除け信仰の対象となっている鎌原観音堂があります。資料館で浅間山や鎌原村の歴史について学んだあとは、こちらにも足を運ぶことをおすすめします。

天明の大噴火の際、村外にいた人や土石なだれに気づいて階段を上り観音堂まで避難できた93人のみが生き残りました。荒ぶる自然の猛威を前に心を打ちひしがれた人々にとって、観音様は気持ちを鼓舞してくれる、心のよりどころとなる存在となっていたそうです。鎌原村の人々は観音様へ深い敬意を持ち、その信仰心は今もなお村人の子孫たちに受け継がれており、観音堂を訪ねると、昔語りを聞くことができます。

 

「鎌原の悲劇を語り継ぎ、地域のアイデンティティ(独自性)を保ち、世代を超えたつながりを作っていく意味でも鎌原の天明災害は大きな役割をもっている」とガイドの古川さん。鎌原村は悲劇の村でもありますが、同時に、一丸となり集落を再生する力を持った村でもあります。浅間山、火山災害、復興、鎌原村の歴史を学び、鎌原の人々の生活や思いを感じながら村の中を巡ってみるのもいいかもしれません。

ガイドの古川さん

「つまちゃり」で巡る 鎌原の歴史

アップダウンの多い嬬恋村巡りにぴったりなのが、つまごいパノラマレンタサイクル「つまちゃり」という電動アシスト付自転車です。JR吾妻線「万座・鹿沢口駅」前の嬬恋村観光案内所でレンタルすることができ、案内所内で受付をし、電動アシスト付自転車の説明を聞いてから利用できます。予約なしで利用できるので電車でフラッと嬬恋村に遊びに来た方も気軽に自転車での観光を楽しめます。万座・鹿沢口駅の裏にある高さ80mほどの断崖絶壁や、その地形を利用して作られた鎌原城址、そして鎌原観音堂や嬬恋郷土資料館など浅間山の火山活動によって生まれた景観や歴史を巡ってみてはいかがでしょうか。

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